歴史

編集会議

MESSAGE

「てがみでこんにちは」の活動の歴史

吉見健一

 うちの子、いくら言っても朝起きてこなかったのに、お手紙をいただいた日に「お母さん、ボクに目ざまし時計、買って」と訴えてくるんです。「どうしたの?」と尋ねると、「ボク、明日から自分で起きる」と強い口調で言うものですから、私もびっくりしてしまいました。届いたお手紙を見たら“朝は自分で起きよう”って書いてあったんですね。あの日から本人、自分で目覚ましをセットして起きているんですよ。

 これは「てがみでこんにちは」が届いている、小学2年生のお子様を持つお母様からの声です。

 小学校に入学した時から高校を卒業するまで、毎月あるいは定期的にお手紙が届けられる、「てがみでこんにちは」活動が全国に展開されるようになってから10年が過ぎようとしています。

 はじまりはD先生でした。35年ほど前のこと、PL大本庁で幼少年育成プロジェクトの会合が開かれ、会合の冒頭、教主であるおしえおや様が「いま、子どもたちは困っています。子どもに直接手を差し伸べられないでしょうか」とおっしゃったそうです。その言葉が心に残りずーっと構想を練ること5年、D先生は、巨匠が映画製作に取りかかるがごとく、当時の担当する教会で小学1年生に毎月手紙を書くことにしました。小学1年生が高校卒業するまで毎月手紙を出そうというのです。

 手紙と簡単に言いましても、便せんに書く、宛名を記入した封筒に入れる、封をする、切手を貼る、ポストに投函する、といった作業が必要になります。2人や3人ならまだしも、数10人に郵送するとなればさすがにひとりではきびしい。先生はあるご婦人に「私が原稿を書きますから、小学1年生にもわかる楽しい手紙にして発送してもらいませんか」とお願いしました。ご婦人は喜んで引き受けてくださり、子どもたちに手紙を届ける活動に「てがみでこんにちは」と名づけてくれました。

 活動が1年ほど続くうちに、D先生は「1年生だけじゃなくて小学生のみんなに手紙を出したい」と思うようになりました。そこで今度は各学年ごとに原稿を書いてくれる同志を募ります。この頃に人を使うコツをつかんだのか、仲間内では“ヒトアラ(人使いが荒い)のドイ”と呼ばれています。ということはさておいて、5人の同志が集まって第1回目の「てがみでこんにちは」編集会議の開かれたのが1991年2月のことでした。

 以来、活動の拡大とともに原稿執筆だけでなく、データベース化やホームページの管理、会議のセッティング、イラストの作成などを担当してくれる同志が現在すでに70名近くに。ほかに、毎月執筆される原稿をボランティアで添削してくださる先生方もいます。

 今では小学1年生から高校生まで、本人と保護者に、さらに幼少年の子供の保護者、受験生、大学生、青年男女、一般男女、高齢者など幅広い方々に定期的に手紙が届けられるようになりました。活動を行っていない教会もありますが、教会によっては独自のネーミングで「てがみでこんにちは」活動をしているところもあります。小学校低学年向け、高学年向け、中高校生向けの本も芸術生活社から出版されています。

 有志によって毎月執筆される「てがみでこんにちは」の原稿は、月によってテーマが変わります。学校生活、勉強、友人関係、親子の絆といったことはもちろんのこと、お手伝いのすすめ、正しいお小遣いの使い方、犯罪に走らないために、社会に貢献しよう、平和を考える、神に祈る、などのテーマを、PLの教えに沿って学年や立場に合わせた内容の原稿となっています。

〈毎月の手紙はピンクのファイルにつづって、届くのをとても楽しみにしています〉〈お手紙をいただいてから、自分でクツをそろえるようになりました〉〈ボクも今日から友だちのことを祈ります〉〈手紙が来たら、その内容について親子で話をするように心がけています。おかげで親子の会話が増えました〉〈お手紙に書いていた通りにやってみたら、友だちと仲直りすることができました。ありがとう〉、といったお便りが届くのもうれしいことです。

 これからも「てがみでこんにちは」を皆様に届けていきます。